ちょっと時間がたってしまいましたが(年を越してしまいましたが)、熊野古道(小辺路)の後編です。
結論からいうと、2日目が一番きつかった。なにせ小辺路の中でも一番標高のある叔母子峠(と言っても1246mですが)を超えます。整備されたハイキングコースではないので、ベンチもないし、弁当を食べるような場所もありません。昼過ぎには下山できると思い、食べ物の補給もせず歩いていたら、下山直前で突然歩けなくりました。シャリバテ(低血糖になって動けなくなる現象)です。ホントに足が前に出ない、10分くらいで歩けるところを30分かけて下山して、座れるところを見つけて弁当を食べたら、30分くらいでまた歩けるようになりました。怖いですね、気を付けなきゃ。
3日目は雨だったのと、2日目の苦行もあり、リタイアも考えたのですが、バス停まで1時間程度歩かなきゃならないし、バスも昼過ぎまで来ないので、諦めて山越えです。ここいらから熊野古道らしくなってきます、森の中の雨も小雨なら気持ちいいです(が、カッパ着ているので汗だく、雨には濡れないけど汗でびっしょり)。
4日目は雨こそ降らなかったけど、霧で湿度も高くリュックがとても重たく感じます。もうここまで来たら、熊野大社を目指して歩くしかありません。途中で果無集落を通ります、よく観光ガイドなどに載っている民家の敷地内を熊野古道が通っている風景です。ああ、熊野古道を歩いているんだなと実感する瞬間です。
今回もなんとか4日間何とか歩ききる事ができました。来年(つまり今年)はどうしよう?と考えていたら、元旦の朝、NHKで「伊勢本海道」の番組をやっていました。まるでお告げのようです、今年は伊勢本海道(170㎞)を歩くのかな…?
高野山と熊野大社は和歌山県ですが、途中の熊野古道(小辺路)と宿泊地は奈良県吉野郡野迫川村(日本一人口の少ない村)と、十津川村(日本一面積の広い村)です。奈良県の面積の8割くらいは山間部だそうで、十津川村はその中でも最大の村になります。紀伊半島は空から見るとよくわかりますが、曲がりくねった川が山間を縫うように流れています。明治22年には集落が一つ消滅するくらいの大水害があって、そこにいた人たちは国の政策によって北海道に移住し、いまの新十津川村となっています。